Walk In The Spirit - 楽天ブログ(Blog)
理由は、
今週、先週と、
テーマがラテン語賛美だったから、
もう少し、付け加えると、
ラテン語賛美の擁護だったから、
先週(4/22)は、
主をさんびすることは私のよろこびです。
しかし、ラテン語さんびはそれままったく縁のなかった言葉だったので戸惑うばかりでした。
英語の時も少し戸惑いましたが、それでも英語はまだ馴染みがあり、なんとか遅ればせながらもついていきました。
ラテン語のさんびが歌われ始めた頃、夫が亡くなり、一人で高齢の義母を介護しなければならなくなったため礼拝にもあまり出られなくなりました。
そんな状況の中、たまに礼拝に出席すると、私の知らないラテン語のさんびが次々と歌われていて、礼拝のよろこびは半減、まるで字幕スーパーの映画を見るようで疎外感� ��え感じました。
(中略)
ピーター先生や美津子さんは、「分かっても、分からなくても良いから歌いなさい」と何度も言われますが、私がこんなに苦しんでいるのに何を言っておられるのだろう、と少し横目でいじけて聞いていました。
しかし、ほんとうにその通りだったのです。今主から与えられているさんびには、私たちの小さな頭では計り知れないほどの力があると思うようになりました。
分かろうが分かるまいが、ラテン語であろうが何語であろうが、私は歌います。今、この時だから、遅ればせながらさんびします。させて下さい。そう祈れることを主に感謝します。 (by 信徒リーダー)
マウイの熱のシーズンフィナーレ
今週(4/29)は、
ラテン語のさんびが分からないと嘆く人がおられると聞きましたが、さんびは言葉の理解がなければならないというものではありません。
さんびの心をうたう─ひびきに心を合わせることによって、主にさんびを捧げることができるのですから。 (by 教会賛美リーダー)
"外国語の賛美を外国語で"、
このテーマ、
古くて新しい、
かつて、Vineyard教会の
礼拝賛美が流行った時期がある、
原曲は、もちろん英語、
で、これを一般の礼拝で使う時は、
すべて、日本語に訳出した、
賛美は現地の国の言葉で、
これが(福音)土着化の基本原則だったから、
但し、英語を理解する日本人は別に構わない、
ホントはこれがベスト、
霊のメロディーに、(理解できる)歌詞が伴うなら、
外国語だろうと母国語だろうとOKだろう、
自分も、聴くのは、
もっぱら英語の賛美曲ばっかりだったし、
問題は、
一般礼拝では、老人、子供、新来者など、
外国語を理解しない人が多いということ、
しかし、仮に、訳しても、
英語の微妙なニュアンスを、
日本語で表現するのは、至難の業とも言える、
そこで、当時の賛美リーダーの、
会衆への決まり文句は、
我々が行うことができますすべてが灰色の解剖学、呼吸維持で
「歌詞を歌うこと以上に、心を主に向けてください、」<ーー(ココンとこ、ヒジョーに大事!)
(この案内に救われ、)
礼拝賛美が乏しかった当時、
日本語訳が少々まずくても、
Worshipのメロディーが良くて、
よく日本語訳賛美が歌われたものだ、
*それで、歌詞が良いと、尚、良かったわけだが、
さて、今回、期せずして、
2週連続で、このテーマが出てきたのは面白い、
私個人の見解は、
賛美は現地の言葉で、の基本原則が生きている、
*但し、個人的に賛美する時は全く別、
何語でも、もちろん異言でも構わないわけで、
そもそも、信徒リーダーでさえ、
ラテン語賛美に悶々としているのに、
一般信徒が悶々としないわけがない、
Vineyardの礼拝賛美曲を日本に紹介した時、
向こうのWorship Leaderいわく、
「今は、まだ、礼拝賛美が紹介されたばかりなので、
Vineyardの曲の日本語訳でいいですが、
最善は、日本人が、メロディーを聖霊に導かれ、
それに日本語の歌詞が付けられ、主に向かうことです、」
この想いは今も変わらない、
"賛美曲のメロディーも歌詞も日本人"、
"外資系賛美ではなく、民族系賛美"、
これこそ、礼拝賛美土着化の大原則だと思っている、
マーティ·パンツァーは誰ですか?
(余談)
芦屋教会の場合、賛美曲はオリジナルで、
主から賛美リーダーに(メロディーが)与えられるらしいのだが、
如何せん、代表者がラテン語に堪能なところが悩ましい、
参考:
Vineyard賛美(英語)
*サンプル:You're Worthy Of My Praise - David Ruis & Indigika
Change My Heart Oh God by Eddie Espinosa
(Vineyard日本語ワーシップ)
芦屋教会賛美
*サンプル:Pater Noster-The Lord's Prayer
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