爆音生活のすすめ3 -Until The Day I Die-
「エモとは何ぞや?」そういう人のために、エモについて少しまとめてみました。
ネット上で興味深い記事があったので抜粋させてもらいました。↓
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近年、ROCKのメインストリームに食い込む勢いを見せる『エモ』、だがそのルーツや定義は非常に曖昧であった。今チャートインしている、マイケミ、フォールアウトボーイ、パニック・アット・ザ・ディスコ、を『エモ』と括られ、首を傾げるリスナーもいるだろう。
そもそも、エモはハードコア(HC)から発生した音楽だが、そのオリジナルであるHCに拒絶されたことで何かと物議を醸す神経質なワードとなった。その為か、『エモはHCから発生した音楽である』と単純な図式に換言できない状況となったわけだ。
もともと、エモとはエモコアの略であり、エモーショナル・ハードコアとゆう語源がある。この『エモコア』とは80年代中期のHCバンド、Minor Threatに始まり、Rites of Spring、Fugazi、Jawboxなどが前身させてきたもので、HCの表現力に限界を感じたバンドが、よりメロディー志向になったものを指す。またこれらを総じて『ポスト・ハードコア』とも言う。
その後、『オリジナルエモ世代』とも言われるバンド、Sunny Day Real Estate(SDRE)、Texas is the Reason(TITR)、The Promise Ring、Christie Front Drive、The Get Up Kidsなどが続く。中でも、92年シアトルで結成されたSDREは、後にフーファイに加わるメンバー2人と(Vo.)ジェレミー・エニックの3ピースバンド。Nirvanaを発掘した、Subpopに見出され各方面で好評を得る。エモを定義付けるような、ディストーションとジェレミーの繊細なフォルセットは後続に大きな影響を与えた。
また、TITRは元ハードコアのメンバーが結成したが、アンサンブルやアルペジオ、エモーショナルなボーカルスタイルで、後の東海岸エモ勢に影響をあたえた。
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エモがその後さらにボーダーを広げ、ポップパンクやパワーポップまでを包括するようになったのは、Jimmy Eat World、Weezerに負う所が大きい。JEWは94年に結成したが、アリゾナ州という今までのエモの流れとは全く離れた地だった。そんな彼らが00年のBleed American(後にセルフタイトルに改名)で広いリスナーを獲得したのは卓越したソングライティングに他ならない。そして、元インディーズパンク=エモと言うレッテルを貼られ、彼らがその音楽性をパワーポップに広げていくと共にエモ自体もその定義を広げていくことになる。
一方、Weezerも後付であるが、エモのムーブメントに貢献している。JEW同様、それまでのエモコアシーン、インディー主義とは異なる背景を持ち、内面吐露、へタレキャラ(普通人キャラ)でロックすることによって、その後のエモバンドを特徴づける一要素となった。
また、00年以降の『エモい』ポップパンクがメインストリームに進出する足がかりとなったのがDashboard Confessionalだ。インディーでありながら、驚異的な売り上げを記録し、MTVでのチャートインなどでポップパンクをメジャーに浮上させた。
エモがポップに広がりを見せる一方で、HCに影響を受けたバンドは、その激情の表現力を増幅していく過程でスクリーモが派生することになる。なかでも、Thursday、The Used、Finchなどはスクリーモの先駆けと言える。 Thursdayのメジャーデビュー作、『Full Collapse』はアーティスティックで繊細かつ、激情という彼らのオリジナリティを確立しポスト・ハードコアの広がりを見せた。
また、スクリーモの牽引役としてはThe Usedが大きな存在感を示した。ミクスチャーを通過した若い世代は、様々な音楽性を取り入れていくのだが、The UsedはメタルとHCの激情を取り入れ、日常、青春、感情をリアルに訴えたのだった。
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多くの音楽と同様、エモはサブカルチャー、ファッションとしてもティーンエイジャーに浸透していく。黒髪、めがね、ジーンズに飾らないTシャツスタイルなどがそうだ。そしてこのアメリカで派生したエモが海を渡り、イギリス(UK)でも若者のサブカルチャーとして受け入れられた背景にはMy Chemical Romanceの存在が大きい。シングル、『I'm Not Okay』でエモいと称され、白塗りと目の周りを黒く塗ったメイクが、エモいファッションとして浸透していく結果になる。
また、UK発のFuneral for a Friendが03年にアルバムをリリースする。伝統的メタルを取り入れ、『エモい』ボーカル(歌詞)とスクリームが特徴的。単純に、自分らがカッコイイと思う音を鳴らしてみました的な、現代エモシーンを特徴付ける様なたたずまいかもしれない。
現代のエモとは何なのか。現代のEmoとは元々のハードコアからは切り離され、もはやジャンルとしては機能していない。むしろ、今のヤング・ミュージック・カルチャー(特にインディー、パンク)全体のムーブメント(動き)を一言で表すためのキーワードにすぎないのではないかと思う。
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(以上
非常に上手くまとめられてますね。長文でしたが、今まで� �モが分からなかった人もこれを読めばエモが何であるかを少しは理解できるかと思います。
ちなみに、海外では「イーモ」と発音されます。
また、Wikiからも抜粋してみました。↓
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Minor threat、Fugazi、Dag nasty、Jawbox等のワシントンD.C.周辺〜ディスコード・レーベルを中心とした1980年代のUSハードコアを源流とするDIYな活動、オルタナティブな音楽性からの影響を公言するバンド達が90年代半ば頃からエモと呼ばれ始めた。
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この呼称は、ワシントンD.C.のハードコアパンク20年史ドキュメント Dance of Days (Mark Andersen & Mark Jenkins, 2001)によれば、スケートボード誌Thrasher がイアン・マッケイらD.C.のハードコアパンクの新しいサウンドを指して emo-core と呼んだことに由来する。Fugaziの前身Embraceで活動していたイアン・マッケイがこれに激怒して"EMOCORE is STUPID"と言い放った1986年の映像はYouTube等で流布しており、彼自身がエモコアというネーミングを拒否したことは明らかである(自ら「エモ」を名乗るバンドは極めて少ない)が、90年代半ば以降、この語はインディーロックサウンドとともにインターネット経由で広まっていった。最初に「エモ」として全米で知られたバンドはシアトルのSunny Day Real Estateで、このバンドが契約していたインディーレーベル(当時)サブ・ポップ Sub Pop が1980年代後半のシアトルのアングラシーンをグランジという名で世界に紹介した仕掛け人だったこともあり、エモもグランジ同様に、ジャンルというよりはメディア用のラベルではないかという印象が当初から拭えなかった。実際、グランジ・ファッションならぬエモ・ファッションの議論は90年代の早い時期からはじまっている。ただし、シアトル・シーンと80年代からアンダーグラウンドで交流の深かったD.C.のバンドがこのようなラベル付けに冷淡だったことや、後付けの音楽性定義の試みが直ちに諸論噴出につながるネット時代の環境のため、グランジ以上に定義が曖昧なまま、必ずしもハードコアパンクと関係のないさまざまなバンドにこの語が拡散して行くことになった。
日本では、bloodthirsty butchersやeastern youthなど札幌のバンドが80年代後半からD.C.のバンドの影響下にあったが、「エモ」という語の使用は90年代後半以降であろうと考えられる。たとえば、eastern youth は1997年になって二回、ライブ告知のフライヤーで「激エモ風バンド」という表現を用いている(シンコーミュージックムック『爆音侍』激情無宿編参照)。アメリカでJimmy Eat Worldなどメジャーシーンにもエモが進出した1999年頃には、一般の音楽雑誌で紹介記事が書かれるようになった。近年はもっぱら2000年代以降に勢力を伸ばしてきたギターロックバンドを一括りにしようとして呼称している傾向がある。(特に日本などでは2000年以降から人気が出てきた俗に言う下北系ギターロックバンドを一括りにエモと呼ぶ傾向がある。)また、近年世間にはエモに対してネガティブイメージを持たれている。
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(以上
別に下北系ギターロックバンドはエモと言われないような気がします。eastern youthは最近の意味でのエモとは少し違いますがエモの元祖であることは間違いありません。
あと、海外ではエモという言葉の中にほんの微量であはありますが「ゲイ」的な、同性愛的意味も含まれているような気もします(日本ではそういうイメージはないかと思います)。
他には、日本と海外はエモというキーワードの取り方に少し違いがあるようにも思います。日本ではエモとビジュアル系との境界線は比較的明確ですが、海外ではその線が曖昧な気もします。
世界的に見ればエモは音楽界に深く浸透したと言えそうですが、日本のミュージックシーンにはまだまだ異端児的な存在のような気がします(インディーズではまた別の話)。こういう点ではE LLEGARDENがパイオニア的な存在であると言えるでしょう。
長くなりましたが、「エモ」という言葉の定義自体が時代と共に変化しています。個人的にはエモという言葉は、ジャンルを越え、カルチャーを越え、ある種の生き方・哲学みたいなものだと考えています。
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